童謡(詩)に学ぼう会
本会は100回(2017.4.24)の例会を区切りとして休会となりまた。
8年5ヶ月ほど、皆様のご支援に感謝申し上げます。
連絡は、瀬川までお願いします。
童謡・唱歌が忘れられようとしている現状に危機感を感じて、この会が発足しました。
童謡・唱歌などを主としながらも、ジャンルにこだわることなく、いろいろな歌について勉強をしています。
詩(詞)の内容をはじめ作詞者、作曲者について、また詩の作られた時代背景など、参加者の体験などを含めてみんなで話し合い勉強をしています。
先生というような方は特にいませんが、結構内容的には深まっていると思っています。
これまで取り上げた詩(詞)は 300 詩を超えております。
* 開催日: 毎月1回開催
第3or 第4月曜日を予定
* 会 場: 総合福祉会館
* 会 費: 100円。
入会金はありません。
* 連絡先: 瀬川
* その他:
① 現在の会員数 35名
② 講師の先生は特にいらっしゃい
ません。レジメ及び一定の資料
を準備いたします。
③ 勉強するテーマ詩は、前月の
例会で決めます。
お知らせ 2017年4月、100回例会をもって 休会としました。 ありがとうございました。 |
取り上げたテーマ詩
平成29年
四月:森の水車、サライ、蛍の光
三月:日本語のおけいこ
キンタロウ、仲間の歌
二月:山寺のおしょうさん
父母のこえ、学生時代
一月:一年生になったら、鉄腕アトム
高校三年生
平成28年
十二月:お星さま、お話しゆびさん
異国の丘
十一月 : いとまきのうた
ドロップスのうた
水色のワルツ
十月:雨降りくまの子、
ラジオ体操の歌、
巴里の屋根の下で
九月 : おなかのへるうた、 母の歌
湖底の故郷
八月 : 翼をください
島唄(沖縄) 、一週間(ロシア)
七月:幸せなら手をたたこう
人を恋うる歌 川の流れのように
六月:児島高徳、二宮金次郎、
一茶さん
五月:鵯越、桜井の決別、乾杯の歌
四月 : びわ、ひばり、初恋
三月 : ねむの木の子もり歌、星の界、
山のロザリア
二月 : 肩たたき、夢のお馬車、
お花のホテル
一月 : ひょっこりひょうたん島、
母さんの歌、横須賀ストーリー
平成27年
十二月: 犬、雀の学校、
真夜中のギター
十一月: かやの木山の、
東京の花売り娘
花(すべての人の心に花を)
十月:四季の歌、およげたいやきくん
誰もいない海
九月:俵はごろごろ、とんぼのめがね
ロングロングアゴー (思い出)
八月 : お菓子の家、サントワマミー
見上げてごらん夜の星を
七月:瀬戸の花嫁、船乗りの夢、
嗚呼玉杯に花うけて
六月:花のメルヘン、鉄道唱歌、
おつかいありさん
五月:お山の細道、さんぽ、
人生の並木道
四月 : 桃太郎、仰げば尊し、夜汽車
三月 : みどりのそよ風、ちんから峠、
岬めぐり
二月 : 鯉のぼり、花は咲く、流れ星
一月 : 鞠と殿様、キューピーさん、
喫茶店の片隅で
例会報告
*第100回例会 2017.4.24 参加者 17名
今回のテーマ詩は、「森の水車」と「サライ」「蛍の光」の3詩でした。平成20年12月に始まったこの会も、今回の100回をもって休会となります。その最後にふさわしいテーマであったかは疑問ですが、「森の水車」はやり残した詩であり、「サライ」は、題名と詩が意味深いことから
いつかは取り上げたいと考えていた詩です。また「蛍の光」はこの日のために何ヶ月か前から、最後はこの詩で終わりにしようとあたためていたもので、そんな経緯から最終回のテーマとしました。
一詩目の「森の水車」は、「月がとっても青いから」とか「星の流れ」で知られる清水みのるが作詞し、「りんご追分」を手がけた米山正夫の作曲によりつくられ、若かりし高峰秀子の歌で戦時中の昭和17年9月にポリドール社から発売されました。
しかし軍部から米英調だと云う理由で、発売後4日間で発禁処分を受けてしまい、その後唄われなくなってしまいました。
戦後の昭和24年になって、当時NHKの専属歌手であった荒井恵子により、バラエティー番組「陽気な喫茶店」の中でさかんに唄われはじめ、昭和26年にはラジオ歌謡として放送されたこともあって、子どもから大人まで広く歌われるようになり、さらに同じ昭和26年に並木路子の歌でコロンビアからレコードが発売され、一気に大衆化していった歌です。
この歌はご存知のとおり、森の中で絶え間なく廻る水車の音を、「コトコトコットン ファミレドシドレミハ」と、リズミカルに明るく表現した歌で、童謡のようなすばらしさにあふれている歌です。ただ残念なのが、三番の詩になると、主人公の水車が、人間に代わってしまい、「怠けたり 遊ん
でいたくなった時・・・」と勤労を奨励しているところに、違和感を感じ、まさに時代の反映が避けられなかったことを思い知らされました。
二詩目の「サライ」は、あの「愛は救う24時間テレビ」のファイナルソングです。
私たちにはメロディー『サクラ吹雪の サライの空は・・・』でおなじみですし、心にひびく歌です。作詞は歌手の谷村新司、作曲は弾 厚作=加山雄三です。
そもそも「サライ」と云う言葉は、ペルシャ語の「サラーイ」から来ており、「宿」とか「家」と云う意味です。重い荷物を背負い、ラクダを曳きながら厳しい気候条件の長いシルクロードを旅する隊商が、ようやくたどり着いた「サライ=宿」というか「家」は、そこはまさにオアシスであり「心のふるさと」だったと思います。それは老若男女、障害のあるなしに関わらずに、私たちの人生と重なり合うものです。
詩も素敵でした。一人の若者が自分の夢を実現するために、様々なしがらみを振り払い故郷を発つのですが、それが都会の厳しい現実に合い夢破れ、落ちこぼれそうになりそうなところを、あたたかな故郷を想い、踏ん張りながら懸命に生きる姿を描いている内容でした。
詩を噛みしめながら、参加者みんなで感動しました。
三詩目の「蛍の光」は、誰でもよく知っている歌です。この歌は、明治14年に作られた教科書、「小学唱歌」初篇で発表されました。もともとはスコットランドの民謡に、当時の文部省音楽
取調掛だった里美 義が作詞したといわれていますが定かではありません。
発表当初の題名は「蛍」で四番までありましたが、歌われているうちに歌詞の冒頭をとって「蛍の光」になり、戦後の民主主義政策の下で、二番までとされ現在に至っています。
歌詞をあらためてみると、みやびやかな古語を使い、故事を踏まえた真面目な七五調の文語体でつづられており、厳粛な印象を強く受けますが、今日では理解しがたいといわざるを得ないことを再確認した次第です。しかし日本人の心を表しており、いつまでも残していきたい歌であることを思いつつ、最後の詩を学びました。
冒頭にもふれましたが、この会が発足してから8年5ヶ月が経過し、この間340詩について学んできました。私たちが知っている童謡や唱歌のほとんどを手がけてきましたし、主宰者の高齢化もあり、区切りのいい100回でこの会を休会といたしました。
最後に参加者みんなで、懇親会を開きいつか再会されることを願いながら、残念ですがお別れといたしました。
ご支援いただいた大勢の皆さまや「さくらの会」に、心から感謝申し上げます。
懇親会風景
*第99回例会 2017.3.27 参加者16名
今回のテーマ詩は、「日本語のおけいこ」と「キンタロウ」「仲間のうた」の3詩でした。この会の例会ではこれまでに、300以上の歌を取りあげてきたこともあり、ここのところ取
りあげる適当なテーマ詩が見当たらず苦慮しているなかで、上記の3詩を2月例会時に決めました。
「日本語のおけいこ」は、昭和40年前後に谷川俊太郎作詞・寺島尚彦作曲で発表された童謡です。内容は、〈50音〉と〈いろは歌〉を使って、日本語のおもしろさや音韻的なつながりを表現した歌で、メロディーも明るく軽快で、子供たちが思わす口ずさみたくなる楽しく素晴らしい歌です。
残念ながら「さくらの会」ではうたったことがありませんし、インターネット等で調べても、楽譜をはじめとし資料らしいものはほとんど残っていません。
谷川俊太郎は、日本語の持つ音韻や美しい響きを、子どもたちに学んで欲しとの思いを込めて作りました。あの著名な谷川が、この歌のほかにも「ことばあそびうた」や「わらべうた」など、言葉の遊び歌につながる作品を多く残しており、意外な一面を知りました。
2詩目の「キンタロウ」は、ご存知の“金太郎”伝説を歌にしたものです。歌の“三太郎物語”といわれる中の1曲で、他は「桃太郎」「浦島太郎」ですが、この「キンタロウ」だけが、実在した人物をもとにした歌なのです。
この歌は石原和三郎作詞、田村虎蔵作曲により、明治33年に発表された幼年唱歌です。
文部省が関わって作られたのではなかったので、文部省唱歌ではありませんが、永い間子どもたちに愛唱されてきた歌です。
金太郎の名は幼名で、成人になってからは坂田金時といい、20歳ぐらいまで金時山の麓の足柄に住んでいました。平安時代中期に活躍した源頼光に見いだされ、頼光の四天王の一人として、丹波の国の大江山に住む盗賊の酒呑童子を退治したことで有名になった武将です。
“金太郎“というと、赤い三角形の布に、○に金の字が書かれた前掛けがトレードマークでしたが、ここのところすっかり忘れられてしまいましたがどうなったんでしょうか。
3詩目の「仲間のうた」は、「さくらの会」でも何回かうたった歌です。この歌は、1960年(昭和35年)12月に、大江将精作詞・荒木栄作曲により発表されました。
1950年後半から1970年にかけて、日本は驚異的な経済発展をいたしましたが、その大きな要因の一つに、エネルギーの基本を、石炭から石油に転換していったことが上げられています。
その影響を大きく受けたのが日本の炭鉱産業です。1960年の安保条約改定と同じ時期に、各地の炭鉱で労働争議が発生しましたが、その頂点が九州の三井三池炭鉱争議でした。会社側からの大幅な合理化に対して、労働者側は、長期にわたるストライキ等で対抗しましたが、最終的には会社側の提案を受け入れて収束にいたりました。
作曲した荒木栄は、その炭鉱の機械工として働いていた労働者で、そしてその労働争議の支援者の一人が、三菱上山田炭鉱の大江将精でした。大闘争が終わった後にこの「仲間のうた」は作られましたが、歌の中の「山」を→「炭鉱」に、「小さな草たち」を→「労働者やその家族、また町の住民」、「泥の靴」を→「官憲」に、などと読み替えていくと、歌のイメージが大きく変わってくるのを感じました。
すでにお知らせしていますとおり、この会も次回の4月例会をもって休会となります。興味のある方、一回でも構いませんから、ぜひご参加ください。
*第98回例会 2017.2.27
今月のテーマ詩は、「山寺のおしょうさん」「父母のこえ」「学生時代」の3詩でした。
第1詩目の童謡「山寺のおしょうさん」は、昭和12年に、江戸時代の “手まりうた” をもとにして「山寺の和
尚さん」という曲が、久保田宵二作詞、服部良一作曲により作られました。その曲は和製ジャズの第1号といわれ、ブギ調のメロディーがもの珍しく、庶民の間に大反響をまきおこしました。そしてその曲をもとに童謡として作られたのが今回のテーマ曲で、作詞者は不詳で、メロディーは服部良一のものをそのまま使っております。
この歌のひょうきんな歌詞の中で、問題な『猫をかん袋に 押し込んで…』のところが、「かん袋」=「かみ袋」に押し込むのが本当に出来たのか、またそんなことがあったのか、それは動物虐待に当るのではないかが話の中心になりました。しかしそれは現実的ではないし、元のわらべ歌から考察すると、当時のお寺(旦那寺)の和尚を、日頃から良く思っていない子どもたちが、揶揄した表現ではないかということになりました。手まり歌、ブギ調のジャズを経て作られた童謡で、なかなか奥深いものを感じました。
第2詩目の「父母のこえ」は、メロディーがとてもきれいなので取り上げましたが、敗戦濃厚な昭和20年2月に、“疎開”の歌として与田準一作詞、草川信の作曲で発表された歌です。
『太郎は父のふるさとへ 花子は母のふるさとへ…』と普通に歌うと、夏休みにおじいちゃん・おばあちゃんの待つ田舎へ帰省する楽しい歌のような感じでしたが、決してそんなあまいものではありませんでした。昭和19年6月の「学童疎開促進要綱」によって、24万ほどの都会の幼い児童が、親元を遠く離れ、学童疎開や縁故疎開に行かされました。ひもじさや不衛生な生活、寂しさや様々な差別の中においやられた児童たちに、切実な感動をもたらした歌だったのです。当時の生活状況を思い返しながら学びました。
3詩目の「学生時代」は、ご存知の通りペギー葉山が、昭和39年に歌って有名になった歌です。作詞・作曲した平岡精二は、歌の舞台となった青山学院で、ペギー葉山の2年先輩です。
ペギー葉山の学園生活を回顧するような内容で作られましたが、歌が出来た時の題名は「大学生時代」でしたが、『誰でもが大学に行ける時代でない』とのペギー葉山の強い意見で、この題名になったそうです。
実際の学生時代は、後悔やら不安、劣等感や貧困など、もっとどろどろしたものがあるはずなのを、この歌は、それらを蒸留したようにすっきりさせ、歌いやすいメロディーとあわせ、夢のようなさわやかな学生時代にイメージ作りしたところに、多くの人たちが憧れと共感をもったのではないかと、みんなで話し合いました。
この会も3月と4月の2回をもって休会となります。残り少ないですが、興味のある方、ぜひご参加ください。
*第97回例会 2017.1.30
今回のテーマ詩は、「一年生になったら」と「鉄腕アトム」「高校三年生」の3詩でしたが、3詩とも聞いたことがあるというより、「鉄腕アトム」や「高校三年生」は、よくうたった歌
なので、とても興味深かったです。
「一年生になったら」は、まど みちお作詞、山本 直純作曲により、昭和41年、NHKテレビ「うたのえほん」で発表されました。「ぱっくん」「どっしん」「わっはは」のオノマトペを取り入れた興味わきそうな詞と、山本 直純の軽快なリズムとメロディーが共鳴した、素晴らしい歌でした。
歌詞の一編一編の長さは丁度良く、小学校入学前の子どもの期待感を見事に描いており、さすが「国際アンデルセン賞」に輝いた、まど みちおの詞だということをあらためて感じました。ちなみにまど みちおは一昨年の2月に105歳で亡くなりました。残念でした。
2詩目は、今月のメインテーマ詩「鉄腕アトム」です。
昭和38年1月、日本初の長編アニメドラマ「鉄腕アトム」がテレビで放映されましたが、そのドラマの主題歌がこの「鉄腕アトム」です。
4年間で210回も放映されましたが、その制作には手塚 治虫がみずから設立した虫プロダクションが携わり、現在の貨幣価値にして360億円ほどの資金がつぎ込まれたそうです。これにより手塚 治虫は、これまでの財産のほとんどを失い自己破産し、同時に疲労がたまり、病魔に少しずつおかされていきました。
このアニメは日本のみならず、アメリカをはじめ世界60カ国で放映され、子供たちはもちろんのこと多くの大人達にも大好評を博します。
このテーマ曲は、作詞谷川 俊太郎、作曲高井 達夫により作られましたが、当初は高井のマーチ調のメロディーだけが画面に流されており、アメリカに渡ったとき、アメリカ人による歌詞付けがされたのをみて、遅ればせながら、日本では谷川 俊太郎が歌詞付けをするのですが、全く違和感がなくアニメにピッタリの内容になっています。
「鉄腕アトム」の主人公の「アトム」は、人間の心を持ち、10万馬力のジェットエンジンを内装して、悪いロボットや人間達に立ち向かっていくのですが、谷川の作詞した歌詞にそれが良く語られています。
今から55年ほど前にこんなアニメを作った手塚 治虫のすごさに驚かされましたし、併せ手塚 治虫のプロフィールも学びましたが、私たちの多くが、手塚漫画に大きな影響をうけ成長してきたことが、楽しく報告されました。
3詩目は、私たちがよく知りまたよく歌う「高校三年生」です。
昭和38年6月、丘 灯至夫作詞、遠藤 実作曲、舟木 一夫の歌で、コロンビア社から発表されました。
突如として、学生らしいキビキビした虚飾のない清潔な歌声が流れ、わずか半年でレコード売上げは百万枚を突破し、その年の紅白歌合戦にも登場し、最終的には230万枚以上の驚異的な売上げを成し遂げた歌です。
学生服姿の舟木 一夫の愁いを含んだ歌声や、世慣れぬ好青年らしいはにかみが、当時の人々の心をとらえたのですが、同時にこの歌詞の中にある微妙な哀歓が、当時の時代状況とマッチしていったようです。ただ80代以上の男性高齢者にとっては、やきもちからなのでしょうか、『ぼくら フォークダンスの手をとれば 甘く匂うよ 黒髪』が、どうもうらやましくひっかかるような話がでて、みんなで大笑いしました。
すでにお知らせしていますとおり、この会も100回例会=4月例会をもって休会となります。興味のある方、少しの期間でも構いませんから、ぜひご参加ください。お待ちしております。
*第96回例会 2016.12.19
今回のテーマ詩は、「お星さま」と「お話しゆびさん」「異国の丘」の3詩でしたが、「お星さま」は、何となく曲名を聞いたことがありましたが、メロディーはあまり知りませんでした。「お話しゆびさん」は、「さくらの会」で今年8月に歌っていますが、これもあまり覚えておりません。ただ「異国の丘」は、終戦後よく歌われたので参加者全員がよく知っていて、話し合いも時間が足りないくらいはずみました。
「お星さま」は、昭和23年に都築 益代作詞、團 伊玖麿作曲で、未就学児のためのラジオ番組「うたのおばさん」で発表された歌です。
『お星さま ピカリ お話してる 小さな声で 可愛いこえで お話してる』が1番なのですが、詩全体のイメージがなかなか描けなかったのですが、情景の設定を夕方を少し過ぎた頃にしてみると、幼い子どもたちの心にピッタリとひびく、すばらしい歌だということわかりました。さすが詩人だなーと、感嘆した次第でした。
大正の『赤い鳥』童謡運動時代を第1エポックとすると、この歌の時代は、「そうさん」「やぎさんゆうびん」「めだかの学校」など、すばらしい童謡が次々に生まれた「童謡の第2エポック」いわれているそうです。
2詩目の「お話しゆびさん」は、昭和37年2月のNHKラジオ「幼児の時間」に、香山 美子作詞、湯山 昭作作曲により発表されました。
この歌は童謡として歌われたばかりでなく、いわゆる指遊びにも用いられ、現代の指遊び歌ともいわれている歌です。
指遊びでは、『子どもと子どもと 喧嘩して 薬やさんが 止めたけど・・・』など私たちも子どものころよくやったものですが、指遊びは日本だけでなく世界中で沢山あります。しかし東西問わず、詞も動作も結構似ているところが面白いところです。そういう意味では、この歌はかなり革新的な指遊びだと評価されています。
3詩目は、「異国の丘」でした。この歌は、戦後間もない昭和23年8月1日、当時のNHK「のど自慢素人演芸会」で、一人の復員兵が誰も知らない「昨日も今日も」と云う題で歌われました。しかし歌いすすむうちに会場は水を打ったように静まり返り、見事に合格の鐘を鳴らしたのです。シベリアの極寒の地で、強制労働をさせられている多くの抑留兵や民間人が、どんなにか望郷の思いに駆られ生活をしているか、その心情は察するに余りあって、たちまちのうちに全国に広がり、大ヒットしていったのです。
作詞は増田 孝治、作曲は吉田 正。のど自慢での歌を聞いたビクターレコード社が、早速に補作を佐伯 孝夫に行わせ、「異国の丘」と改題して売り出したのです。
日本の敗戦を前後して、満州を主とし60万とも70万ともいわれる日本人兵士や民間人が、ソ連の捕虜として極寒のシベリア方面に抑留されました。それはおおよそ昭和20年8月から昭和31年までにおよび、その間、苛烈な労働と劣悪な食事等で、その1割~2割もの人たちが亡くなっているのです。そうした捕虜生活者の中で、『何としても祖国に帰り着こう』との思いの中からうまれたのがこの歌でした。
たまたま今回の例会日の4日前に、ロシアのプーチン大統領が来日して、日本との経済協力や領土問題が話題になっていた時だけに、この「異国の丘」の時代背景等に、かなり興味をもちみんなで話し合いました。
*第95回例会 2016.11.28
今回のテーマ詩は、「いとまきのうた」と「ドロップスのうた」「水色のワルツ」の3詩でした。
「水色のワルツ」以外の2曲は、曲名すら初めて聞くようでしたので、当初、果たして資料が整うのか、どう勉強ができるのか心配をしていましたが、何とか楽譜が確保でき、それなりの資料も整ったこともあって、かえっていつもの例会よりおもしろく勉強することができました。
「いとまきのうた」は、昭和58年に香山美子作詞、小森昭宏作曲により、テレビ朝日の「とびだせパンポロリン」で発表された創作わらべ唄です。歌に合わせて所作を行う遊び歌なので、家庭よりむしろ幼稚園や保育園で普及したようです。
もともとはデンマークのわらべ遊び歌『糸を巻いて糸をまいて・・・』と云う「靴屋のポルカ」を原曲としており、メロディーもかなり似たものになっています。
ただ、内容は4編の構成ですが、1番を除くと、以後は題名の“糸巻き”とはかなりかけ離れており、勉強会では、果たしてそれでいいのかとの感想もでていました。しかしもともと童謡ですから、ファンタジーでかつバラードになっているなら、きちんと整合性が整っていなくてもいいのではないかとの結論に達しました。
2詩目の「ドロップスのうた」は、昭和37年に、まど みちお作詞、大中恩作曲により、NHK「幼児の時間」で発表された童謡です。一昨年の2月に104歳で亡くなったあの まど みちお らしい、空想力壮大で、かつナンセンス趣味に満ち、それでいてドロップの語源もきちんと踏まえたとても楽しい歌でした。
昭和初期世代のわれわれの時代でドロップといえば、あのサクマドロップが思い出され、長方形の缶かんの中の、赤や黄、オレンジ等の色をしたキャンディーひとつひとつを大切にして味わい、中身の残り少なくなった缶かんを振りながら遊んだことなどを想いおこしながら、この詩の素晴らしさを学びました。
3詩目の「水色のワルツ」は、われわれ世代にはよく知られた歌です。昭和25年に、藤原洸作詞、高木東六作曲、二葉あき子の唄で発表された流行歌です。
流行歌嫌いの高木東六は、疎開先の長野県伊那市で、散歩途中に浮かんだメロディーをあたためておいて、後になって藤原洸が詞をつけたものです。
詞の内容としてのイメージは何となくわかるのですが、果たしてこの歌は、男・女どちらの歌なのか、また失恋の歌なのか、歓びの歌なのか、乏しい経験のしかない?参加者からは、いろいろな意見が出されましたが、みんなが納得するところまで深められませんでした。会も終わり近くになって、この歌は女性の“忍ぶ恋”=“不倫”の歌ではないかとの意見が出て、もう一度メロディーや詞の内容に立ち戻ってみると、参加者のほとんどの方の腑に、ようやく落ちるものが確認できました。
*第94回例会 2016.10.24
今回のテーマ詩は、
「あめふりくまのこ」
「ラジオ体操の歌」と
「パリの屋根の下」
の3詩でした。
「あめふりくまのこ」は、吉原先生の思い出の曲として「さくらの会」の8月例会で取り上げた歌です。昭和36年に鶴見正夫作詞、湯山昭作曲で発表された童謡で、山に雨が降って小川のような川筋ができ、そこに子熊が現れ、魚がいるかなぁと覗き込む光景をうたった詩です。
8月にうたったときはあまり強くは感じなかったのですが、あらためて勉強をしてみると、吉原先生が音楽家になる大きなきっかけとなった歌とお話された通り、幼児の心にピッタリとひびく、とても素晴らしい歌でした。
二詩目の「ラジオ体操の歌」は、昭和31年に藤原洸作詞、藤山一郎作曲で発表された歌で、現在放送されているラジオ体操のテーマソングとして作られました。
そもそも日本でのラジオ放送は大正14年に始まりましたが、ラジオ体操とその放送は3年後の昭和3年から開始されております。
そのきっかけは、アメリカでのメトロポリタン生命保険会社が、スポンサーとしてラジオ体操の放送を始めたところ、その宣伝効果により業績が大きく伸びたそうです。そこで現在のかんぽ保険会社の前身である逓信省簡易保険局が、日本でのラジオ放送を機に、日本放送協会と当時の政府に働きかけて、ようやく開始されるに至りました。テーマソングは昭和6年と昭和26年にも作られ、現在の曲は3代目の歌です。
三詩目の「パリの屋根の下」は、昭和5年に作られたフランス映画「パリの屋根の下」で唄われたシャンソンのメロディーに、西条八十が昭和6年に作詞して発表した歌です。当時の日本の状況は、昭和4年に始まった世界大恐慌の影響が依然として根強く残っており、不況と貿易不振により巷には失業者があふれ、東北地方の農村では、欠食児童と娘の身売りが続出した時代でした。そんな時代に、明るいこの歌が、多くの庶民に一筋の光明と希望を与えました。
同じ昭和6年に流行った歌には、「女給の唄」「ルンペン節」「酒は涙か溜息か」「窓に凭れて」等があります。
*第93回例会 2016.9.26
今回のテーマ詩は、童謡「おなかのへるうた」、唱歌「母の歌」と流行歌「湖底の故郷」の3詩でしたが、いずれも「さくらの会」ではうたっていない歌ばかりでした。それだけにとても興味をもって学べました。
童謡「おなかのへるうた」は、
作詩阪田寛夫、作曲大中恩により昭和35年に発表された歌です。このお二人による前作「サッちゃ」が好評だったため、その翌年に二匹目をねらって作られたといわれています。実はこのお二人は、一つ違いの従兄弟どうしで子どものころから仲良く、この歌も、子どもの率直な生活感情が表れた阪田寛夫の詩に、気心知れた大中恩が上手く曲付けをして、多くの子どもや幼児達に親しまれた歌でした。
二詩目の文部省唱歌「母の歌」は、野上弥生子作詩、下総皖一の作曲により、国民学校初等科第五学年用の歌として、昭和18年に発表された歌です。
戦前戦中を通じて多くの“母もの”の歌が作られましたが、この歌も戦時中に作られた歌のためか、批判的リアリズム文学者といわれた野上弥生子の苦悩がうかがえる作品でした。
三詩目の「湖底の故郷」は、当会の立上げ者で会長の津島義正さんがリクエストされた歌です。残念ながら先日96歳でお亡くなりになったのですが、生前に当会の会員に一度取りあげたいといっていた歌です。今回、会長さんの追悼も含め取りあげた次第です。
この「湖底の故郷」は、作詩島田磐也、作曲鈴木武夫、唄東海林太郎により、昭和12年6月に発表されました。
私たちがよく知っている小河内ダム=奥多摩湖建設のために、悠久の土地を追われた小河内地区住民3000名の人々に送られた哀歌です。
小河内ダムの建造計画は、大正15年に遡り、日中戦争・太平洋戦争を経てようやく昭和32年に竣工しました。この間湖底に沈んだ住民達は、複雑な社会的・経済的変動に翻弄されましたが、小説家石川達三の初期の作品、「日陰の村」でも悲惨な生活が語られています。
直立不動の姿で切々とうたう東海林太郎の姿を思い描きながら、歌を聴きこの歌の哀愁というより悲痛と思われる詩を学びました。
次回テーマ詩は、別掲の通りです。この会の開催も残り7回となりました。
どうぞ興味のある方は、どなたでも大歓迎です。お待ちしております。
*第92回例会 2016.8.29
テーマ詞は、「翼をください」、「島唄」(沖縄) 、「一週間」(ロシア)でした。
*第91回例会 2016.7.25
7月のテーマ詩は、「幸せなら手をたたこう」と、「人を恋うる歌」「川の流れのように」の3詞でした。3詞とも人間らしさをうたった詞で、人間のあり方を勉強しました。
誰でもが知っている「幸せなら手をたたこう」は、早稲田大学名誉教授の木村利人が、学生時代、フィリピンで
のボランティア活動中に、子供たちが歌っていたメロディーを耳にし、帰国後まもなくそれに詞を付け仕上げたもので、ほんの一部の人たちの間で歌われていたようです。
一部の人たちがうたっていた歌を、たまたま歌手の坂本九が聞きかじりをしてきて、すぐに作曲家のいずみたくに持ち込み編曲してもらって、作詞・作曲家不詳のままレコード化され発表されました。
時はまさに昭和39年の東京オリンピックの年で、日本中はもちろんのこと、一挙に世界全体に広まっていきました。日本では高度経済成長の恩恵が享受できた時代で、まさに「幸せなら 態度でしめそうよ」と呼びかけられた時代だったようです。なおフィリピンの子供たちが歌っていたメロディーは、アメリカを経由したスペイン民謡が元になっていたようです。
2詞目の「人を恋うる歌」は、『妻をめとらば才たけて みめ美わしく情けあり・・・』の冒頭の歌詞が有名で、旧制「三校寮歌」と記憶していました。
明治41年に作詞者・与謝野鉄幹、作曲者は不詳として発表された歌です。
歌詞はせいぜい5番ぐらいまでだろうと思っていましたら、何と17番まで
あって、詞の内容も愛妻や恋人たちをうたったものではなく、韓国内で祖国の独立運動のために奮闘していた友をしのび、鉄幹がうたったものでした。
当時の日本や朝鮮半島をめぐる社会状況も含め勉強しましたが、消化不良の感は否めませんでした。
3詞目の「川の流れのように」も、誰でもが知っている歌の一つです。
平成元年1月、作詞家・秋元康、作曲家・見岳章が担当して、美空ひばりアルバム「不死鳥パートⅡ」の標題曲として発表された曲でした。
アルバムからのシングルカットは、当初違う曲を予定していたのですが、この時ばかりは美空ひばりがご自分の意見で押し切って、この曲に決めたのですが、結局はこの曲が美空ひばり最後の歌となってしまいました。
何か美空ひばりの人生をなぞったような歌で、150万枚を売上げ「柔」につぐミリオンセラーとなりました。
この会の例会開催は、当面100回までをメドとしており、残りはわずか9回となりました。その後はしばらくお休みとする予定です。
*第90回例会 2016.6.27
今月は、「児島高徳」と「二宮金次郎」「一茶さん」の3詞でした。
先月に引き続き、歴史物、人物物の歌の勉強となりました。
「児島高徳」は、「さくらの会」でも時々リクエストのある歌ですが、歌ったことがないし、どのような歌か全く知らなかったのですが、
たまたま5月に「桜井の訣別」を勉強しましたので、それに関連した歌として取りあげることになったのです。この歌は、大正3年に『尋常小学唱歌』6年生用として発表された歌で、もともとは『太平記』巻4の中の有名なエピソードを歌にしたものですが、まず難しい歌詞・漢字に驚かされました。しかしメロディーは唱歌というより歌曲のようにすばらしく、歌詞を学ぶにしたがい、南朝時代、窮地に陥った後醍醐天皇と、武将・児島高徳との心のやり取りが忍ばれる素晴らしい歌でした。
「二宮金次郎」は、私たちが小学生時分に、校門近くに立てられていた石像を通じて何となく理解をしていた人物です。
この歌も明治44年に発表された文部省唱歌ですが、子供たちに孝行、勤勉、学問、自営などの徳目の大切さを教える内容となっています。
百姓の長男として生まれ、養子先の建て直しをはじめ、生家や奉公先の小田原藩家老家など、600以上の家や村、藩の復興を成功させた人物だったそうです。晩年は老中水野忠邦によって幕府にも登用され、没後は従四位が追贈されるほどの人物であったことを知りました。歌詞の内容は、大正時代に高野辰之が評しているように、修身書にある叙事詩で、面白みはあまりないものでした。
「一茶さん」も私たちに馴染みの人物ですが、その人生は、作られた俳句とは異なり、貧困と波乱万丈の一生でした。
歌は中條雅二作詞、中野次郎作曲で、『一茶のおじちゃん 一茶のおじちゃん あなたの生まれはどこですか ハイハイ私の生まれはのー 信州信濃の 山奥の・・・』と信州信濃を詠いながら、メロディーも穏やかで素晴らしい歌でした。
ただ素晴らしい歌にもかかわらず、今の時代、ほとんど歌われておらず、また楽譜すら探すことができなかったのが残念でした。
次回のテーマ詩は、
「幸せなら手をたたこう」「人を恋うる歌」「川の流れのように」の3詞となりました。例会終了後、暑気払いを予定しております。初めての方でも大歓迎です。ご遠慮せずにご参加ください。
*第89回例会 2016.5.23
今回のテーマ詩は、文部省唱歌の「鵯越(ひよどりごえ)」と「桜井の訣別」、ドイツ民謡の「乾杯の歌」の3詞でした。
「鵯越」は、源義経が一の谷の戦い
で、裏手の断崖絶壁を駆け下りて平
家を攻め落とした時の逸話をもとに、明治45年『尋常小学唱歌』三学年用として発表された歌です。源氏が一の谷の戦に勝利、その後の屋島の戦い、壇ノ浦の戦いを経て、平家滅亡となっていく時代背景などを語り合いました。
「桜井の訣別」も時代物の歌で、明治32年に発表された文部省唱歌です。この歌も『太平記』の中の名場面の一つで、足利尊氏との湊川の戦いを前にした楠正成と、その子の正行との別離を歌にしたものです。
詩もメロディーも素晴らしく、このような歌が歌われなくなっていく状況に悔恨しながら、楠正成その人物や、後醍醐天皇と南北朝時代など、複雑で興味ある時代背景も勉強しました。
「乾杯の歌」は、「さくらの会」の4月例会でも取り上げられ歌ですが、私たちはこの歌を、ドイツ民謡として当たり前のようにうたってきましたが、世界的にはどうもそれが違うようなのです。
いまから115年ほど前、アメリカのメイン州立大学の学生歌・応援歌として作られたようで、ドイツで「乾杯の歌」というと、歌劇「椿姫」の中の「乾杯の歌」や「オクトーバーフェスト」などだそうです。
しかしそもそもドイツの古典的な民謡をベースにした『オーピー』という歌が元歌になっているのも確かなようで、すっきりした形ではありませんでしたが、歌の生い立ちはしっかり勉強できました。
来月は、「桜井の訣別」に関連した歌「児島高徳」ほか、「二宮金次郎」
「一茶さん」の3詞を勉強します。
また、7月例会(7/25)後に、暑気払いとしてみんなでビヤホールへ行くことにしております。皆さんのご参加をお待ちしています。
*第88回例会 2016.4.25
今月はこの季節にあわせた、「びわ」と「ひばり」の2詩と、石川啄木の「初恋」の3詩でした。
「びわ」は、敗戦後の第二次童謡ブームの中でつくられ、作詞家の まどちおの人柄そのままで、なんともいえない優
しいことばで綴られています。
『だっこしあって 熟れている』『ロバさんの お耳煮みたいな葉の影に』『お日にぬるんで 熟れている』『ヤギさんの お乳よりかも まだ甘い』など、子どもの心にひびく珠玉の言葉ばかりで、感動しました。
「ひばり」は、明治44年『尋常小学校 2学年』の歌ですが、参加者のほとんどの方が学校で習ったとのことで、少し驚きました。
最近、麦畑がなくなったせいか、ひばりの鳴き声がほとんど聞けなくなったことや、巣に産んだ卵やヒナたちを守るために、他の動物に知られないように、まさに落ちるがごとく麦畑に戻る姿等の話をしましたが、そういう光景がなくなってきてしまっていることにいささか寂しさを感じた次第です。
3詩目の「初恋」は、『砂山の砂に 腹ばい 初恋のいたみを 遠くおもい出ずる日』のたった3行の詩に、作曲家の越谷 達之助が曲付けをした素晴らしい日本の歌曲ですが、センチメンタルな初恋の思いに、叙情的でみずみずしいメロディーのすばらしさを、何回もうたって勉強しました。あわせ「石川啄木」の生涯や、その代表歌集「一握りの砂」の15篇ほどの詩もよみあわせをして、26才で亡くなった天才詩人をしばししのびました。
次回のテーマ詩は、
この時期の歌「鵯越」と「桜井の決別」とドイツ民謡の「乾杯の歌」となりました。童謡・唱歌では、やっていない詩がなくなりつつあり、結構大きなテーマになってしまいました。
*第87回例会 2016.3.28
今月は、美智子皇后陛下作詩の「ねむの木の子もり歌」と、「山のロザリア」「星の界」の3詩をみんなで学びました。
「ねむの木の子もり歌」は、美智子皇后陛下が聖心女学院高等学校在学中に作詩されたものですが、現在の被災地を訪問する等の公務を通じて感じられるあの優しさと、あい通じるものを強く感じながら学びました。
「山のロザリア」は、これまでロシア民謡だとばかり思ってうたっていましたが、実はロシアの民俗舞踊曲に、日本の詩人丘 灯至夫氏が作詩をして作られた歌
であることを初めて知りました。詩の内容に少し踏み込みながら学びました。
今月のメインテーマ詩は、「星の界」でした。難解な言葉があるため、最近はなかなかうたわれなくなったそうですが、「さくらの会」では、当たり前のようにたびたび取りあげております。
今回はこの「星の界」にあわせ、『星・宇宙』について、会員であり元水産大学講師の石橋先生にご講演をお願いしました。時間は45分程度でしたので、あまり深められませでしたが、それでも宇宙の壮大さは私たちの想像を絶する大きさであり、また日本のあのカミオカンデが発見した偉業等も学ぶことができてよかったと思っています。
この会も100回を目途に開催しています。あと残りの例会は13回です。
関心のある方、ぜひご参加ください。
*第86回例会 2016.2.22 参加者 15名
テーマ詩は、下記3詩でした。
・「肩たたき」
(西条八十作詞、中山晋平作曲。
大正12年発表)
忘れられつつある「肩たたき」や母の日プレゼントの「肩たたき券」、日本家屋にあった「縁側」、「タントン タントン タントントン」のリズムカルな旋律等について話し合いをしました。
・「夢のお馬車」(斎藤信夫作詞、海沼実作曲。昭和22年発表)
・「お花のホテル」(加藤省吾作詞、海沼実作曲)。昭和22年発表)
2曲とも、戦後間もない昭和22年に作られたことに驚きながら、多くの子供たちにたくさんの夢を与えたことや、当時の暮らしの状況等を語り合いながら勉強をしました。
*第85回例会 2016.1.25
テーマ詩は、「ひょっこりひょうたん島」、「かあさんの歌」、「横須賀ストーリー」でした。
*第84回例会 2015.12.21
今月のテーマ詩は、文部省唱歌の「犬」、童謡でお馴染みの「雀の学校」と、フォークソングのはしり的な「真夜中のギター」の3詩(詞)でした。
「犬」という文部省唱歌が明治44年に作られていたことや、「ポチ」と言う名が、当時はやっていたことを初めて知りました。
昭和4年につくられた「雀の学校」は、戦後作られた「めだかの学校」とよく対比して語られますが、決して軍国的、徳目的で、権力的な指導の下で歌わされたものではないことを、あらためて勉強しました。
3詞目の「真夜中のギター」は、戦後歴史の大きな節目のである1970年の前年につくられ、同年はやった「白いブランコ」「風」「夜明けのスキャット」などと同様、当時の世情がとてもよく表れており、そんな時代の思い出もだし合いながら勉強をしました。
終わりに、参加者全員で写真を撮りました。
*第83回例会 2015.11.16
テーマ詩は、「かやの木山の」、「東京の花売り娘」、「花(すべての人の心に花を)」でした。
*第81回例会 2015.9.28
テーマ詩は、「俵はごろごろ」と、「とんぼのめがね」「ロング・ロング・アゴー」(思い出)の3詞でした。
わらべ歌と思っていた「俵はごろごろ」は、大正14年につくられた童謡だったことを知り、またこの歌は1番のみの歌と思っていましたが、参加者からたしか3番まであったのではないかとの意見があり、次回までに2、3番の歌詞を探すことになりました。
勉強になったのが「とんぼのめがね」でした。詩人の深い洞察力に裏付けられた詩に、あらためて感嘆しました。
ロング・ロング・アロー」(思い出)では、古関吉雄作詞の『垣に赤い花咲く…』のほかに、同名で『よく訪ねてくれたね…』の伊藤武雄作詞の歌があることを知りました。また大正2年に訳詩された近藤朔風の「久しき昔」の、詩の素晴らしさを勉強しました。
次回例会の詩は、「四季の歌」「およげたいやきくん」「誰もいない海」の3詩です。興味のある方はご参加下さい。
*第80回例会 2015.8.24
今月のテーマ詩は、「お菓子の家」、「見上げてごらん夜の星を」、「サン・トワ・マミー」の3詩でした。「見上げてごらん夜の星を」と「サン・トワ・マミー」は、みんながよく知っている歌で、詩の内容やその時代背景について話し合いをしました。歌手の越路吹雪と作詞家の岩谷時子についても、資料などで学びました。
大変だったのは「お菓子の家」でした。作詞は西條八十、作曲は橋本国彦ですが、当時の詩の内容については、みんなで話し合うことができたのですが、楽譜がどうしても見当たりませんでした。童謡が失われていくと言われて久しいのですが、どんどん歌われなくなってしまい、楽譜を入手するのがこんなに大変になっていることを肌で感じた次第です。
今月は暑気払いとして例会後、みんなで食事会をしました。初めての試みでしたが、楽しくみんなで交流をいたしました。
*第70回例会